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電情日記

It’s a small world.

内田 真人

昨年4月に着任した内田です.初めての電情日記ですので,今回はこちらに着任して驚いたことについて書きたいと思います.その準備として,まずは私の研究キーワードの一つである「ネットワーク」に関する話題について紹介したいと思います.

この日記の読者の方々の中には,「ネットワーク」という言葉を聞くと,情報通信のためのネットワークであるインターネットを最初に思い浮かべる方も多くいらっしゃるかもしれません.私もこちらでお世話になる前は,NTT研究所や九州工業大学ネットワークデザイン研究センターで働いていたことから,「ネットワーク」という言葉をインターネットの意味で使う機会が多いです.しかし,現実世界に存在するネットワークはインターネットに限りません.神経細胞のネットワークから友達関係のネットワークに至るまで,自然や社会には多種多様なネットワークがあります.近年では,こうした様々な「ネットワーク」を対象とした研究が活発に行われていますが,その中で,非常に巨大で複雑な構造を有し,一見無関係に見える現実の様々なネットワークの背後には,大変興味深い共通的な特徴が潜んでいることが明らかとなってきました.

そのような共通的な特徴の代表例としては次の二つの性質が挙げられます.一つ目の性質は,ネットワークのサイズが大きいにも関わらず,友達の友達が友達である割合(クラスタ係数と呼ばれます)が大きいというスモールワールド性です.また,二つ目の性質は,友達の数には格差があるものの,その格差はさほど激しくもない(厳密には,友達の数がベキ乗則という特別な確率的ルールに従う状態を表します)というスケールフリー性です.スモールワールド性とスケールフリー性の両方(または片方)の性質を満足するネットワークは一般に複雑ネットワークと呼ばれています.

複雑ネットワークの特徴を表す好例には様々なものがありますが,ここではスモールワールド性に関係するエルデシュ数を紹介したいと思います.エルデシュ(下図)はハンガリー出身の大数学者で,Wikipediaによれば,生涯に1500編以上もの論文を発表したそうです.エルデシュ数とは,エルデシュとの共同研究関係ネットワークの特徴を表す数値であり,エルデシュ自身のエルデシュ数は0,エルデシュとの共同研究者のエルデシュ数は1,エルデシュとは共著論文を書いていないが,その共同研究者とは共著論文を書いている場合のエルデシュ数は2,のように計算されます.そして,エルデシュ数が4以下の数学者はかなりの割合を占めていると言われ,数学界におけるスモールワールド性を表す好例として知られております.数学の論文を書いたことのある人はアメリカ数学界(AMS)のWebサイト(http://www.ams.org/mathscinet/collaborationDistance.html)からご自身のエルデシュ数を調べられるかもしれません(ちなみに,このWebサイトによると,内田のエルデシュ数は4だそうです).なお,最近では複雑ネットワークに関する様々な解説本を日本語で気軽に読むことができますので,上記のような事例に興味を持った方は,一冊手に取ってみてはいかがでしょうか?

さて,準備が随分長くなりましたが本題に戻ります.こちらに着任して驚いたことというのは,スモールワールド性が昨年4月に同時に着任した教員の間でも驚くほど見事に成立していたということです.例えば,中静先生(阪大から着任)と宮田先生(東工大から着任)は以前からの直接の知人同士であり,宮田先生と内田は宮田先生の前職における上司の先生が共通の知人であり,さらに長先生(NTTドコモから着任)と内田はNTT研究所時代に同じ建物の同じフロアで1年間勤務をしていたらしいのです(フロアが広いため当時は気づきませんでしたが).世間は本当に狭いと思います.なお,佐藤先生(京大から着任)からは,着任間もない頃に,内田とは初めて会った気がしない,と冗談交じりに言われたことがあるのですが,これだけ世間が狭ければ本当にどこかでお会いしていたかもしれないという気がしてきます.

Paul Erdös (1913-1996)
出典:Notice of the AMS, Vol.45, No.1 (1998)

電情日記

電気電子実験室にいた約40年間

林 喬久

長い年月と共に継続教員となって2年目が始まった。この数年において次々と取り壊され、又改装されて津田沼校地の整備が終わり昔の面影は少なくなってしまった。その中で昭和45年から研究室及び学生実験室を含めた電気電子実験室へ引っ越ししたその建物が残っている。その1階片隅に研究室が有った。
半地下室となっていた高電圧実験室内に、雷及び開閉インパルス電圧発生装置 最大印加電圧300kVが有った。その後、新しく700kVの発生装置となり、雷放電による空間、ガイシ、絶縁油に関する研究を行っていた。この場所は台風の季節になると入口の階段からたびたび浸水し、その排水には苦労した。ふき取りと乾燥までには約2週間かかり、続いて電源を入れるときは 恐る恐る・・・・であった。

又、私のいた研究室には地下室(幅3m、高さ2m、長さ30m)が有り、ノイズの影響がなく光の研究には最高であったが、湿度が高く悩まされ当時乾燥機など取り付けてもらえなく困った。ここでの研究は、ガスレーザを使用してポッケルス効果による高電圧測定、又,ファラデー効果による大電流測定を行っていた。この時、使用していたシンクロスコープは昭和39年製造で全て真空管を用いており、今では考えられない程重く大きな物である。このような測定器は移動が大変であった。約40年間使用していないが、現在11階の研究室に宝物?のように置いてある。時々ではあるが古き良き物として学生に見せている。

更に続いて、環境が重要視されるようになり、これらに関連するオゾナイザーの高効率化及びガス中の放電にかかわる基礎特性の研究を行ってきた。 いろいろと問題は有ったが、全てにおいて環境が整っており多くの実験を行なうことができた場所であった。

学生実験に関しては、電気電子実験室を使用するようになった。この当時は電気工学科、電子工学科に分かれていた。 電気工学科は第二部も有り、実験は一部(昼)と二部(夜), 更に機械工学科、工業経営学科、精密機械工学科の電気工学基礎実験を実施していた。

第一部の実験は、午前(9:00~13:00) と 午後(13:00~17:00) に分けて行い、

第二部の実験は、 夜(17:30~21:30) に行っていた。 ところが、第二部の実験は時間内に終わらない項目もあり、千葉駅の終電に間に合わなく家に帰れないと

言う学生が多々いたようである。このため学生から日曜日に行うことを提案してきた。これを実現させ日曜日隔週において午前・午後で2項目を、5日間使用して行うこととなった。レポートは2項目分提出しなければならないが、学生は考え、ゆとりを持った実験の時間であったと思う。

その後、学科は電気電子情報工学科と統合され、学生人数は今までの約3倍となり実験室は混雑極まりない状態であった。

現在、実験室であった大きな部屋は図書館の書庫となり、その他大部分は工事関係業者の事務所となっているが、長年、実験に明け暮れて過ごした所であるから、まだ電気電子実験室が存在する限り古き住居のような気がする。実験室は、千葉工業大学における私の成長した場所でもあった。 右写真は手前が電気電子実験室 (昭和44年)、中程に4号館(昭和47年)、後方の建屋は2号館、現在この11階に研究室が有る。 このような大学の進化と共に、緩やかではあるがまだまだ成長しなくてはならないと考えている。

電情日記

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