• トップ
  • 教育内容
  • 教員紹介
  • 資格
  • 進路
  • 入試
  • JABEE
  • CITものづくり

電情日記

授業で習わない元素の話

山本 秀和

皆さんは、中学の理科や高校の化学や物理で元素や原子のことを習ってきたと思います、今回は、 元素に関係して、授業では習わないような話をいくつかしてみたいと思います。

1.最も原子番号の小さい元素
皆さんは、「最も原子番号の小さい元素は何ですか」という問題が出たら何と答えますか。ちゃんと授業を聞いていた人は、「それは、原子番号1の水素です」と答えるでしょう。ピンポン正解です。ですが、もし原子番号ゼロの元素があったとしたら、その方が原子番号の小さい元素ということになります。それに相当するのが、「ポジトロニウム」です。ポジトロニウムは、電子と陽電子(電子の反物質でプラスの電荷を持った電子)がお互いの周りをまわっている状態です。松本零士原作のマンガ「宇宙戦艦ヤマト」に、ガミラスとイスカンダルという重力でお互いの周りをまわる二連星が登場しますが、重力が静電引力(クーロン力)になったと思って下さい。電子と陽電子はすぐにくっ付いて消滅してしまいますが、短い時間ではありますが、「ポジトロニウム」と呼ばれる状態で存在します。ただし、「最も原子番号の小さい元素は何ですか」という問題に、「それは、原子番号0のポジトロニウムです」と答えると×だと思いますので、気を付けて下さい。

2.最も原子番号の大きい元素
それでは、最も原子番号の大きい元素はなんでしょう。今年、114番元素にフレロビウム(Fl)、116番元素にリバモリウム(Lv)という名前が付けられました。118番元素が合成されたという報告もありますが、未認定です。これらの原子番号の大きい原子は、原子番号の大きい原子どうしをぶつけて合成して作られます。そうすると、いくらでも原子番号の大きな原子が作れるのでしょうか。そうはいかないのが世の中です。原子番号が大きくなると原子核も大きくなります。逆に、原子番号が大きくなると原子核の正の電荷量が増加するので、最も内側の電子の軌道が小さくなってきます。するとどこかで原子核と電子の軌道が重なってしまいます。これが原子番号の大きさの限界です。その限界は、150ぐらいとされているようです。

3.幻の43番元素「ニッポニウム(Np)」
現在、周期律表の中に、日本人が発見した元素はありません。かつて、1909年に、日本人の発見した43番元素ニッポニウム(Np)が、周期表に載ったことがあるのです。残念ながら、このニッポニウム発見は間違いだったことが判明しました。43番元素は、非常に寿命の短い元素で、420万年で半減するペースでなくなっていきます。地球の年齢が約46億年ですから、地球が生まれた時に43番元素が存在していたとしても、すでに地球上から姿を消してしまっているのです。43番元素の実物は、1936年に人工的に作られました。そして、人工的にしか作れないという意味を込めて、テクネチウム(Tc)と命名されました。その後、Np という元素記号は、93番元素ネプツニウムに使われています。なお、113番元素は、日本の理化学研究所で合成され、ジャポニウム(Jp)と名付けようという動きがあります。

おわりに
普段あまり聞かないような原子に関する話をしてみました。それでは、人類史上最もたくさん元素を発見した人はだれでしょう。それは、イギリスの化学者ハンフリー・デービーです。彼は、電気分解によって、ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、ホウ素、バリウムの6元素を発見しました。これだけの数の元素を発見したのは、デービーだけです。ちなみに、デービーは、電気工学では必ずお世話になるマイケル・ファラディの先生です。
デービーが元素を発見できたのは、ちょうどその時代にアレッサンドロ・ボルタが、ボルタ電池を発明したからです。昔から、電気は人類の進歩になくてはならないものだったのですね。

電情日記

産業応用部門大会(千葉大会)報告

山崎 克巳

この夏,平成24年8月18日(土)~8月24日(金)の一週間,千葉工業大学津田沼キャンパスで,平成24年電気学会産業応用部門大会を開催させていただきました。全日程を通して,大変な猛暑でしたが晴天に恵まれ,1000人以上の参加者が津田沼キャンパスにいらっしゃいました。そこで今回は,本大会の報告をさせて戴ければと思います。

電気学会は創設1888年,国内で最も歴史のある学会の一つであり,現在の会員数は約2万4千人です。産業応用部門は,電気学会傘下の5部門のうちの一つで,現在の会員数は約6500名,過去5年間,会員数が増加傾向にあります。主要な分野は,電気機器,パワーエレクトロニクス,及び電気技術の各種産業応用です。産業応用部門では,毎年夏頃に全国持ち回りで大会を開いており,今回ご縁があって千葉工大で開催させていただく事になりました。そこで千葉工大の教員を中心として,千葉県内の主要な教育機関と企業の皆様で実行委員会を設立し,開催の2年前から準備を進めてきました。今回は平成23年3月11日の大震災以降,東日本で初めて行う産業応用部門大会であり,実行委員会では大会と震災復興との関連を意識して各種の行事を実行しました。

まず,8月18日に,小学生に電気エネルギーを応用する便利さと大切さを体験してもらうべく,「子ども電気エネルギー体験教室」を開催しました。満員の盛況の中,子ども達の電池と模型電気自動車製作に取り組む真剣な眼差しと,走行レースでの輝く笑顔は,理科系離れとは全く無縁の世界でした。

これに続く8月21~23日の本大会では,シンポジウム13テーマ,オーガナイズドセッション1テーマ,一般オーラルセッション41セッション,およびヤングエンジニアポスタセッションが開催されました。総発表件数は実に507件であり,震災復興に関連する発表も多くみられました。各セッションと同時に,15社の企業による展示も行われました。

本大会中日午後には,産業応用部門が世界に情報発信すべく立ち上げた英文論文誌に関する説明会が開催され,続いて部門表彰式が実施されました。表彰式では,昨年の沖縄で開催された産業応用部門大会の発表で優秀論文発表賞を受賞した,当研究室の大学院生の熊谷誠樹君も表彰されました。また特別講演では,まず1件目として,独立行政法人 放射線医学総合研究所の重粒子医科学センター 物理工学部部長 野田耕治氏に,「重粒子線がん治療装置の現状と今後の展開」というタイトルで,2件目として,千葉工業大学 惑星探査センター所長 松井孝典氏に「惑星科学の現状と将来」というタイトルでご講演戴きました。その後の懇親会も,津田沼キャンパス内の学食で開催し,定員満員の300名の皆様にご参加戴きました。

本大会後,8月24日のテクニカルツアーでは, JFEスチール東日本製鉄所と成田空港を見学しました。日頃立ち入ることのできない様々な場所で貴重な体験をさせて戴き,大会に関連する全行事を締めくくるに至りました。

今思うと,あの熱い1週間が夢の様です。大会開催にあたって全力を尽くして戴いた,学内の皆様,実行委員会の皆様,電気学会の皆様に深く感謝する次第です。また,大会期間中は,千葉工大の教員だけでなく,学生もアルバイトで会場係などを担当し,実社会との接点を持つ大変貴重な機会であったと思います。

今後また,本学で何かしらの学会を開かせていだだく事があるかと思いますが,このページをご覧の皆様も是非ご参加いただければ幸いです。

 

 

 

電情日記

イタリア訪問記

室 英夫

MEMS・センサの研究を行っている室です。電情日記についてはこれが5回目の投稿となります。今回は国際会議CIMTECで訪問したイタリアについてお話したいと思います。CIMTECはフランス語の”Conférences Internationales Materiaux et Technologies”の頭文字を取った名前で機能性材料を中心とした幅広い材料関連技術の国際会議です。今回がその第4回目で6月11日から14日までの4日間イタリアのモンテカティーニ・テルメ(Montecatini Terme)で開催されました。モンテカティーニ・テルメはフィレンツェ(Firenze)を中心とするトスカーナ地方に位置する古くからの温泉町で、人口が約2万人の閑静な観光都市です。国際会議が開催されたのは町の中心部の公園の中にある”Palazzo dei Congressi”(日本語にすると「会議場」になってしまいます)という会議場で緑に囲まれたおしゃれな感じの建物でした(写真1)。この国際会議の中の「次世代マイクロ/ナノ・システム」というシンポジウムにおいてMEMSセンサに関連した講演を行いました。

日本を発ったのはちょうど梅雨入りした6月9日で成田空港からパリCDG空港経由でフィレンツェの空港に到着しました。この空港の中にはフィレンツェ空港(Aeroporto di Firenze)と書いてありますが、航空券にはペレトーラ(Peretola)空港と表示され、またガイドブックなどではアメリゴ・ベスプッチ(Amerigo Vespucci)空港とも表示されていますので混乱しないように注意が必要です。空港から市の中心部にあるフィレンツェ中央駅までは直通のバスで約15分であり、バスは30分に1本あるので比較的便利だと感じました。

フィレンツェは英語ではフローレンス(Florence)、フランス語ではフロランス(Florence)といい、15世紀にはメディチ家の統治のもとでルネッサンスの華が開き、ダ・ヴィンチやミケランジェロなどが活躍したことで知られています。フィレンツェの歴史は古く、紀元前10世紀のエルトニア人の集落から始まり、紀元前1世紀にはシーザーによってローマの植民都市となり、街が整備されたようです。中世には毛織物業などで栄え、ルネッサンス後文化の中心がローマに移ったのちも街中には当時の建物や美術品が多く残り、「天井のない美術館」として称えられてきました。

フィレンツェ中央駅前には外観が美しいサンタ・マリア・ノヴェッラ教会があり、この駅は別名サンタ・マリア・ノヴェッラ(Santa Maria Novella)駅と言われています(駅名表示はFirenze SMN)。駅から徒歩10分くらいでサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Basilica di Santa Maria del Fiore)やジョットの鐘楼(Campanile di Giotto)があるドゥオモ広場(Piazza del Duomo)に行くことができます。さらに市の中心部を横切るアルノ川(Fiume Arno)を渡り、岡を登るとミケランジェロ広場(Piazzale Michelangelo)に至ります。ここからのフィレンツェ市街の眺望は抜群で広大なボーボリ庭園(Giardino di Boboli)や橋の上に貴金属店が立ち並ぶヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)などを一望することができます(写真2)。トスカーナにはフィレンツェ以外にも斜塔で有名なピサ(Pisa)やシエナ(Siena)など美しい観光都市が多くあり、機会があったら訪れてみて下さい。

 

電情日記

2012年10月
« 9月   11月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

このページのトップに戻る