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電情日記

第46回 成田山詣行脚に参加して

相知 政司

この電情日記に4回目の登場であります相知です。今回は,5月12日(土)~13日(日)にかけて行われた「第46回 成田山詣行脚」に参加した感想を書きます。

まず,「成田山詣行脚」とは,一晩かけて,千葉工大の津田沼キャンパスから成田山新勝寺(その距離,なんと約40km)までを歩くというイベントです。頂いた千葉工大体育会本部の資料によれば,

現在千葉工業大学体育会で行われている成田山詣行脚は
一、精神力と体力の向上
一、参加者の親睦を深める
一、一年間の無病息災祈願
という目的のもとで行われています。

この行脚の歴史は大変長く、昭和39年頃より空手道部の部員100名が長距離を歩くという行事をはじめたのが現在に至っています。はじめは空手道部部員のみの参加でしたが、次第に各部に浸透し、親睦を深めるという目的が強まってきました。

当時は各部で自主的に企画、実施していたのですが、部の数が大幅に増加したこと等から一つの行事として実施することが困難になり、昭和47年頃より体育会本部の行事として扱われる事になりました。

企画、実施を体育会本部が執り行うことになってから、当初特定の目的地がなかった事、成田山までの距離約40kmが一夜で、歩き通すのに適当であったことなどの為、目的地が成田山新勝寺となりました。

現在では体育会正会員のみならず、一般学生、文化会、学友会、寮友会の参加も呼び掛け、体育会の行う行事の中でも大変規模の大きなものとなっています。

となっております。現在,私は学生委員会委員長を拝命している関係で,一度は参加したいと思っていたところ,今年はスケジュール的にもちょうど良かったので参加しました。
簡単な行程は,下記の通りです。

5月12日(土)

16:30~ 津田沼キャンパスにて出発式
17:00~ 成田山を目指して,津田沼キャンパスを出発。国道296号線(成田街道を歩く),快調に歩いており,楽しかった。
20:40頃 京成本線 勝田台駅前通過,まだ,楽しく歩いていた。
21:30頃 京成本線 ユーカリが丘駅通過,次第に足首が痛くなり,休憩所は,まだかと気になり始めた。
21:50頃 第一休憩所 上座公園に到着 お弁当とバナナ1本を食べる
22:40頃 第一休憩所 上座公園を出発

5月13日(日)

0:50頃 JR 佐倉駅前 通過,眠気と足の痛みに耐える。
2:00頃 第二休憩所である酒々井町役場近くの中央台公園到着,
おにぎり1個とバナナ1本を食べ,ストレッチをする。疲れのピーク。
5:40頃 成田山新勝寺到着,達成感・充実感・満足感を味わう
6:00頃 成田山新勝寺にて,到着式

今回,行脚に参加するにあたって,私は不安はありませんでした。実は,20数年前の学生時代に夜間歩行(約40km歩く)を経験していたからです。多分,今回も大丈夫だろうということで参加しました。でもやっぱり,年齢には勝てないので,最後は足がかなり痛くなりました。しかし,この痛みが懐かしくもあり,20数年ぶりの久々の達成感・充実感・満足感を味わうことができました。

参加して感じたことは,まず,献身的に動いてサポートしてくれた体育会の学生さんがたくさんいたことにただ感謝でありました。このようなイベントの成功には,裏方が最も大切であり大変です。当然下見もして,当日には交差点に必ず担当の学生さんがいて,誘導してくれたことに,深く感謝したいです。
次に,成田山新勝寺で参加者を温かく迎えて頂いたご住職のお言葉と千葉工大同窓会成田支部の皆さんから頂いた牛乳とあんパンが,疲れた身体にとてもありがたく,美味しく頂くことができました。

最後に,行脚に参加して良かったなと思う点は,いろいろな方に支えられてこそ今の自分があるということがあらためて身に染みて分かった,さらには,挑戦しないと何も始まらないし挑戦してこそ結果が得られるということの再認識ができました。足の痛みは,1~2日で無くなりますが,達成感・充実感・満足感は,なかなか忘れられません。学生時代の夜間歩行を懐かしく思い出し,また,来年もまた参加して達成感・充実感・満足感を味わってみようと思っております。これを読んでいる若い皆さん,若いうちにどんなことでも良いので挑戦し,達成感・充実感・満足感を味わった方が良いと思います。人生が楽しくなりますし,面白くなり,また挑戦したくなりますよ。

「挑戦無きところに,達成無し。若き時こそ,積極的に挑戦すべし。」

行脚の途中で佐倉市内の某所からみた赤い半月とマンション

 

成田山新勝寺に掲げてあった同窓会成田支部の歓迎の横断幕

 

成田山新勝寺に到着し,疲労困憊ながらも達成感で充実した笑顔

 

成田山新勝寺に掲げてあった立て看板

電情日記

実験技術の進歩とプラズマ

伊藤 晴雄

世の中の技術の進歩と共に研究室の実験技術が各段に進歩したと実感したことについて書きます。

先ずは、真空ポンプです。ステンレス鋼製の放電容器を真空にした後、目的に応じた気体を封入して放電プラズマの実験をするために、40年ほど前は油拡散ポンプを使っていました。これは図1のように、縦型円筒型で、底に油と加熱用のヒーターがあり、中を別の油回転ポンプで真空にしながら油を沸騰させます。蒸発した油の蒸気は、3重位になった煙突の中を上昇し、上部から斜め下に向かって噴き出され、ポンプ本体のケースの壁に突き当たります。その外側は水冷用の銅パイプが巻きつけてあり、油の蒸気は冷たい壁で液体となって底に戻り、再び蒸気となって中を循環します。気体分子は斜め下に噴き出された油の蒸気につかまり壁で離れた後、油回転ポンプで外に排出されるため拡散ポンプの上から下に向かう気体の流れが生じ、油回転ポンプだけの場合より真空になります。しかし、油蒸気の逆流を防ぐために液体窒素(当時、大学に貯蔵設備がなかった)トラップや水冷バッフルなどを使う必要があるのと、水とヒーターの扱いが面倒でした。

そんな時、ターボ分子ポンプが出回り始め、当時地下鉄「虎ノ門」近くにあった販売店の展示品のデモを見たりして、一台購入しました。これは“強力な扇風機”と言えるもので、羽根の先端が音速と同じ位のスピードで回転し、気体分子を跳ね飛ばして排気する、という原理です。高速回転のため軸受が焼き付くのを防ぐため空冷ファンで冷しました。このポンプは学生用にピッタリ、つまり“繰り返しの起動と停止”によく耐え、故障なしでついこの間まで使っていました。図2がその写真です。これにより10-6Torrしか得られなかったのが10-8Torrまで到達するようになりました。

2つ目は真空計です。放電プラズマ実験用容器の中に平等電界発生用の一対の電極をセットし、この中に気体を封入し実験を行います。その時の圧力は重要な量ですが、当初は17世紀にトリチェリ(Torricelli)が真空を発見した時の説明図さながらのU字管水銀マノメータを使っていました。途中から水銀を油に変え、1Torr(=1mmHg)を15mm程の長さに拡大し、その油面を0,01mmまで読める顕微鏡で確認しましたが、大変でした。そこへ、キャパシタンス型圧力計が登場しました。缶詰の缶の形をした容器の中央に2つの部屋に仕切る薄い金属板(ダイヤフラム)を設け、片方の部屋は真空にして密閉し、もう一方を圧力測定する容器に接続します。容器が真空であればダイヤフラムは左右釣合って中央で平ら、です。容器に気体を入れると圧力差で真空側に変形するので、これを静電容量の変化として検出し圧力に直します。当時出回り始めたデジタル表示で読めたことが画期的で測定精度が上がり、得られた実験結果の再現性も格段に上がりました。このことが、ある定数を決める実験を始めるきっかけになりました。

3番目は、オシロスコープです。我々の”電情”の世界では誰でも使ったことのある測定器ですが、こんな経験をしました。放電プラズマの成長過程、”電気を通さない気体が電気を通すようになる”ことを調べる為、10-15~10-6Aの電流を安定に測定するにはどうしたら良いか、失敗を交えて色々なことをしました。”すべて初めは難しい”と”終わり良ければ総べて良し”の諺の如く、終わってしまえば至極簡単で、電磁シールドは勿論、熱、湿気、それに機械的振動を除く、つまり「すべての物理的外乱をシールドする」ことでした。そうしてnAオーダの過流電流波形を測定し解析することにしました。電流は増幅して電圧出力にして当時のオシロスコープ、勿論ブラウン管式で観測しました。オシロを現象の発生に合わせてビームの掃引を開始する外部トリガーモードに設定し、画面上に”一瞬”現れる波形をオシロに付けた接写装置と一眼レフカメラで写真に撮ります。仕上がった写真の波形が縦横の目盛と共に鮮明に読めるようにカメラの絞りとシャッター時間、オシロのビーム輝度と目盛照度などを調整した後、実験にかかります。写真撮影する手間を少しでも省くため、40m巻きのタンク入りフィルムを買い込み、ダークバッグの中でカメラに出し入れして、この時暗くしなければならないという思いから、自分の目も閉じていることに途中で気が付きましたが、撮りまくりました。その後も大変で、いくつかの現像用タンクに入ったフィルムの現像、定着、水洗い、乾燥、そして印画紙への焼き付け・・これはさすがに面倒で、途中からネガフィルムをスライドでグラフ用紙上に写し出し記録しました。学生実験がある日は、夕方から終電近くまで続け、外乱が一切ない日曜日は絶好の実験日でした。真空計や圧力計が新しくなった頃から、トランジェントレコーダーとかデジタルレコーダーと称していた今のデジタルオシロスコープの原形が安く出回るようになり、何かの申請で400万円位のものを購入してもらい使いました。トリガ信号の入る前の信号も記録できる、という革新的な機能で助かったこともありました。それでも初めは記憶した波形をアナログ記録計で出力し解析しました。その内に例のPC9801が研究室でも使えるようになり、GPIBインターフェースとかRS232Cケーブル等を用いて、デジタルメモリとPCがつながり、写真から解放されました。程なくFORTRANやBasicを使ってPC上でデータ解析できるようになり、この頃は大学院完成の頃で、学生が熱心に協力してくれました。当時のデジタルレコーダーがラックの床面積いっぱいを占めていたのに、今のオシロは手の上に載る位の大きさになり、しかも観測したデータを積算記録し平均化処理する、等々のことまでしてくれます。この実験を始めた頃「しなければならない」と覚悟を決めて、してきたことが数分でできるようになり、大変な進歩だと実感しています。

初めの2つはハードの話でしたが、それらのどこかについている”自動調整”をやってのけるセンサーとエレクトロニクスの進歩、そしてこれらを上手くまとめ上げる形で使われているコンピュータの偉力は大したもの、感じています。

振り返ってみると、電気磁気学の学問体系が固まった直後に活躍したエディソンやテスラ、その他多くの先人達が、自らの発明を通しながら「将来はこうなる」と予言した世界が、コンピュータの力を借りて実現しているのが、現在の姿であると思います。忘れてならないのは、そのコンピュータのメモリ等の集積回路がプラズマを用いて作られていることです。プラズマは雷、スプライト、オゾン層、電離層、オーロラなどの自然現象として我々の身近にありますが、もっとスケールを大きくして太陽や宇宙そのもの、—真っ暗な中で輝く星々や、それらをさえぎる星雲や暗黒物質の姿—それこそ「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」でも見ることができます。これらの光景は実験室で見るプラズマとよく似ています。

電情日記

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