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電情日記

津田沼校舎アーカイブ

尼崎 巌

電情日記3回目登場の尼崎です。今回は、わが千葉工業大学津田沼校舎の由来について記してみようと思います。

本学の前身・興亜工業大学は、藤原工業大学(現慶応大学工学部)に続いて昭和17年(1942年)旧制私立単科工業大学として玉川学園に誕生しました。当時はまさに第二次世界大戦中で、(1)新国士養成、(2)全人教育、(3)労作教育そして(4)塾教育の4つを教育方針として戦時下工業技術者養成を目標として創立されています。労作教育は、ペスタロッチの教育思想を基幹とした「自学自律」、「自啓自発」の精神を、また塾教育は、「師弟同行」、「師弟共生」を標榜としたものでした。現在の千葉工業大学の建学の精神は、「自学自律」と「師弟同行」の2つが継承されています。

昭和19年(1944年)には、予科の授業も玉川では狭隘となり、麹町の上智学院内に移転しています。この年の入学試験倍率の45倍は空前であり、また絶後であろうと言われています。昭和19年10月さらに学部を川崎市の日本冶金工場内の仮校舎へ移していますが、まもなく本部、予科そして学部も戦災を蒙りやがて終戦を迎えます。戦後は、現君津市の旧海軍第2航空廠八重原工員養成所跡地へ移転し、昭和21年(1946年)、興亜工業大学はこの時点で「千葉工業大学」に改称されました。しかし、昭和22年君津寮で火災が発生し、昭和24年(1949年)には、津田沼の「田中航空機器製作所:後の田中工業(株)」工場内(いまの津田沼校地の西方)に移転しています。そして、昭和25年新制大学として発足しています。昭和27年(1952年)、国からの払い下げ許可が降りて旧陸軍鉄道第2連隊跡地(現在の津田沼校地)に移転して、校地流転の旅はようやく終焉を迎えることになりました。

明治40年(1907年)中野から千葉県に転営した旧陸軍鉄道大隊は、以後いくつかの編成変更があり、大正7年(1918年)千葉(椿森)に鉄道第1連隊が、また津田沼に鉄道第2連隊(現津田沼校地はこの一部)が設置されています。戦前の鉄道第2連隊は、[写真1]で示したように、広大な敷地を有し、大学周辺の旧公務員および旧国鉄住宅跡地や京成沿線際まで含んでおり、敷地内には軽便鉄道が走っていた様子が窺えます。また現JR線路の北側一帯も鉄道第2連隊材料廠となっていて、戦後は、県立千葉工業高校(昭和42年千葉市今井町へ移転)と京成電鉄および大栄車両株の敷地となっていました。

現在の新京成線(津田沼~松戸)は、もともと鉄道連隊演習線跡地に敷設(全線ではない)されたもので、真偽のほどは定かではありませんが、カーブが多いのは砲・爆撃回避の演習用の名残である、と昔聞いたことがあります。

千葉工業大学津田沼校舎は、[写真1]の旧鉄道連隊の連隊本部を大学本館と図書館、そして4つの兵舎が講義・実験棟でいずれも木造でした。現在の通用門の門柱は、旧鉄道連隊時代のもので、これは平成10年「国の有形文化財」として登録されていることは周知のとおりです。また門扉も旧鉄道連隊当時のデザインにリニューアルされています。

本学電気電子情報工学科の前身・電気工学科は、昭和28年(1953年)度に開設(電子工学科は昭和36年増設)され、木造第3号棟と5号棟を本拠として講義・実験が開始されました。現在の本学は、近代化されて昔日の面影はありませんが、わずかに前述門柱・門扉と、1号館裏の桜の木と祠(昭和10年[1935年]建立)が当時の幻影を留めています。

[写真1] 鉄道第2連隊航空写真(撮影時期は定かではありませんが、開戦前のものと思われます。終戦時の全景は本写真と若干異なっているようです。また、赤線は、現在の津田沼校地の概略を示したものです。
<引用> 実録鉄道連隊(イカロス出版)

電情日記

最近流行りのハイブリッドカー

山本 秀和

2010年4月、本学に赴任した山本です。電情日記にはこれがデビューです。前期の講義では、電気回路とパワーデバイスを担当しました。パワーデバイスは、地球温暖化防止が今や人類最大の課題となり、それをエレクトロニクス的に支えるデバイスとして、最近急激に注目されるようになりました。パワーデバイスの用途は広く、身近なところでは、太陽電池や風力により発電した電力の変換、新幹線やハイブリッドカー/電気自動車の駆動、エアコンや冷蔵庫等のインバーター化、携帯電話やパソコンのアダプター等々、様々な場面で活躍しています。特に最近のハイブリッドカーの浸透はすさまじいもので、プリウスを見かけない日はなく、千葉県警はパトカーにインサイトを使い、京成電鉄はハイブリッドバスを走らせています。前々回の電情日記では、山崎先生がハイブリッドカーに用いられるモーターに関するご自身の研究成果を紹介されていました。ハイブリッドカーは最近急に台数が増えたので、比較的新しい技術のように思われているかも知れませんが、調べてみると案外古い技術なのです。

突然ですが、私は戦車が好きです(と言っても戦争が好きなわけじゃありませんのでご心配なく)。あの機能優先なムダのない形に魅力を感じます。なかでも第二次大戦の頃のドイツの戦車が好きです。子供の頃は何台もプラモデルを作りました。特にパンター(Ⅴ号戦車、英語読みではパンサー)やティーガー(Ⅵ号戦車、英語読みではタイガー)が好きです。そのティーガーにはⅠ型とⅡ型(キングタイガー)がありますが、ティーガーⅠ型は開発を2社で争った経緯があります。1社はヘンシェル社という会社でもう1社がポルシェ社です。ポルシェ社は、有名なフェルジナント・ポルシェ博士が作った会社で、ティーガーの設計もポルシェ博士が行いました。このポルシェティガー(写真左)が実はハイブリッド戦車なのです。方式は、今で言うシリーズハイブリッドという方式で、ガソリンエンジンで発電してモーターで駆動するというものです。インサイトやプリウスの方式注)とは違いますが、今でもバスやトラックなどの大型の自動車や船などに使われている方式です。ですから、この方式を戦車に使おうというのは、実に的を得た考えなのです。

結局、この開発競争にはヘンシェル社が勝ちました(ティーガーⅠ型、写真中央)。当時の周辺技術がポルシェ博士の発想についてこられなかったという事情のため、ポルシェティーガーは日の目を見ませんでしたが、ポルシェ博士の卓越した先見性には驚かされます。天才の発想に周囲がついてこられないというのは昔から良くある話です。ちなみにこのポルシェティーガーの車体は、重駆逐戦車フェルジナント(後にエレファント、写真右)として復活することになります。

みなさんも若い発想を大事にして、少々周りの目が冷たくても気にせず、新しいものにチャレンジして下さい。

筆者のコレクションより

注)インサイトはパラレルハイブリッド、プリウスはシリーズ・パラレルハイブリッドという方式です。詳しい情報はホームページ等から山ほど得られます。興味のある方は検索してみて下さい。

電情日記

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