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電情日記

電磁波の話(続編)

森田長吉

移動体通信,宇宙通信,放送に果たす電磁波の役割はとても大きいものがありますが,大事なことは電磁波に代ってこれを代行できるものが他にないことです.最も大きな要素は電磁波が空間を軽々と伝播できる点にあります.また世の中で最も高速である光速度で伝播できる点も信号伝送に利用する上では重要な性質です.さらに重要なのは電磁波が真空中でも伝播できることです.よく考えてみると,何もない空間を伝播できるというのは本当に不思議ですね.電磁波の振動は何か空間の振動そのものみたいなものと考えざるをえません.電磁波は振動しながら伝播し,かつエネルギーを運んでいます.エネルギーは質量と結びついていますから電磁波の伝播は光速での物体の移動と同質のものといえます.電磁波は宇宙のあらゆる場所から発生し宇宙を飛びかっています.宇宙の“はて”は一体どうなっているのか人間には理解できませんが,電磁波が光速で宇宙の“はて”に到達するとすれば,電磁波こそが宇宙を光速度で膨張させている張本人と言えませんか?

電磁波を応用する技術に話を戻しましょう.電磁波はほんの120年程前まではその存在すら知られていませんでしたが,今私たちの生活になくてはならない重要な役割を果たしています.特に携帯などの現代の情報通信における電磁波の役割は甚大です.それでは電磁波を利用する技術にはどんなものがあるのでしょうか.当然ながら非常に沢山の高度技術が関わっています.ここではその一部の技術であるアンテナのことだけを少しだけ取り上げます.アンテナは送信側では信号処理装置(情報通信機器)で作り出した電気信号を電磁波に乗せ空間に放出するための必要不可欠な素子(あるいはデバイス)です.アンテナには通常線状あるいは平板状の導体(俗に金属)部分があり,この部分に振動電流を流すことによって周囲に電磁波を発生させます.空間に飛びかう電磁波から信号を取り出すとき,すなわち受信するときにもアンテナが必ず必要です.移動体等での受信・
送信用には機器に見合った小さなアンテナが用いられ,多数の受信器めがけて電磁波を放射する必要がある送信所には大きな電力用にとても大きなアンテナが必要になります.放送波送信用アンテナがその典型です.

現在,関東一円のラジオ,テレビ放送電磁波は東京タワーの上方に設置された多数の大アンテナから放出されています.これらのアンテナには古くから知られているダイポールアンテナやループアンテナのような基本的な線状アンテナあるいはそれらの変形形状が使われています.現在東京都墨田区押上に建設中の東京スカイツリーは右図写真のようにもう400mまで伸びていますが,この塔に設置される地上波ディジタル放送用アンテナもおそらく東京タワーのアンテナ群と同様の形状のものになると予想されます.大きな電力を幅広い範囲に放射するという目的を考えるとそうなるからです.ところでこのスカイツリーは当初の計画から変更になり,最終高さが634m(武蔵:東京付近の旧国名のゴロ合わせ)となりました.どうやら第一の目的よりも観光名物としての人気の方がやたら大きくなってきたようです.既に毎日多数の見物客が訪れていますから.

さて,右の写真は千葉工大新1号棟の20階展望室から写したものです.まだ高さは400m程度ですがすでにかなりそびえて見えます.

電情日記

宿場町戸塚の遷変

室 英夫

MEMS・センサの研究を行っている室です。電情日記についてはこれが3回目の投稿となります。今回は私が住んでいる街「戸塚」を紹介したいと思います。戸塚区は横浜市の中では南西の端に位置し、面積は区の中で最大です。横浜駅やみなとみらいなどの市中心部と比較すると緑が多く、まだ田園的風景がかなり残っています。現在人口は27万人程度ですが、1986年に泉区と栄区が分離するまでは45万人と全国政令指定都市行政区中最大だったとのことです。戸塚駅周辺は柏尾川を挟んで日立製作所の工場や研究所、社宅などが立ち並び、日立の城下町といった感があります。柏尾川沿いには両側に桜の木数百本が植えられていて、新学期の時期には出店が立ち並び、多くの花見客でにぎわいます。また戸塚駅から東南に2kmくらい行った所には広大な舞岡公園があり、自然の中での散歩を楽しむことができます。戸塚のあたりには平安後期から鎌倉期にかけて鎌倉党一族がいたもようで始祖鎌倉権五郎影正を祀る後霊社などの神社がいくつか残っています。また戸塚区は鎌倉市と接していて、鎌倉街道によって結ばれていたことから鎌倉幕府との関係も深く、俣野町は大庭氏の一族の俣野氏の本貫地となっていました。江戸時代になると五街道が整備されて、保土ヶ谷宿と藤沢宿の間の宿駅として戸塚宿が成立し、以降宿場町として栄えるようになりました。戸塚宿は東海道五十三次では日本橋をスタートして品川宿、川崎宿、神奈川宿、保土ヶ谷宿に続く5番目の宿場で橋の袂に茶屋がある歌川広重の絵が有名です。日本橋からの旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数は五十三次中、小田原宿に次ぐ規模であったとのことです。戸塚宿の手前には権太坂があり、「箱根駅伝」の難所になっています。戸塚宿の南側には東海道の間宿である原宿があり、原宿交差点は渋滞の名所となってきました。現在は地下バイパス工事が進み、上り車線は開通してもうすぐ下り車線も完成するようです。明治時代になると1887年に東海道線の戸塚駅が開業しましたが、その時作った清水谷戸トンネルは日本最古の鉄道トンネルだそうです。横浜市戸塚区ができたのは1939年で1980年には東戸塚駅も開業しました。戸塚駅西口は小さな店が密集した旭町商店街が賑わってきましたが、数年前から再開発事業がスタートし、今年4月には総合商業施設トツカーナがオープンし、古い商店街は消滅しました。駅前の風景は大きく様変わりしましたので横浜に来る機会がありましたら、戸塚にも少し足を延ばしてみて下さい。

電情日記

春の長野へ

芳賀 裕

5月の連休は晴天に恵まれ、長野県の諏訪地方に伝わる御柱祭に行ってきました。この祭りは七年毎の寅と申の年に行われる。その歴史は古く、一説には平安初期桓武天皇の時代に「寅・申の支干に当社造営あり」とあるのが最初の記録で、起源はさらに遡るとも言われている。“奥山の大木、里にくだりて神となる~”という木遣りの歌にあわせ、長さ15メートル直径1メートル重さ10トンあまりもある巨木を、諏訪湖を囲む市町村の氏子たち20万人位が人力のみで山から里へ、そして諏訪大社へと曳いて、最後に社殿を囲むように四隅に建てるのである。

八ヶ岳山麓から切り出された御柱は、4月に原山の置場を出発し「山出し」が始まる。道が狭く鋭く曲がった道を曳かなければいけない難所「穴山の大曲」を経て、斜度27度の急坂を一気に下る「木落し坂」などで、男たちの度胸や意気込みや統率力によって、大勢の男たちを乗せたまま御柱が急坂を一気に下り、そして、「川越し」では八ヶ岳の雪解け水で御柱を洗い清められる。

5月には、この御柱は華やかなはっぴや鉢巻きをした大勢の氏子と見物客の中を、社殿にゆっくりと向かう里曳きがおこなわれる。最終日には境内の四隅に「大木が神となる建御柱」へと進んでいく。私もはっぴをはおってまつりモードとなり、ヨイサ~ヨイサ~のかけ声とともに一緒に御柱を曳いて歩いた。騎馬行列や長持唄や太鼓などがあちらこちらで行われ、普段は静かな町が観光客も加わって、人と熱気であふれかえっていた。前回の御柱祭には義父と一緒に御柱を曳いたり、あちらこちらで振る舞われ御神酒を頂いたりして、二人でいい気分になったことが思い出される。今回はちょっと寂しいが、昼時に親戚の家で休ませてもらっていると、遠縁の人たちがだれかれとなくたくさん集まり、祭りのこと、景気、親や子供のことなど6年分のことを酒の肴に話の花が咲き、ついつい良い気分となっていました。

人と人とのつながりの不思議さとその大切さを感じ、また、次までがんばろうとパワーをもらって帰ってきました。これぞ諏訪大社がパワースポットといわれるゆえんであろう。

電情日記

2010年6月
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